自分を創る、過去のカケラたち

Twitterでフォローさせていただいている方の中に、立花岳志(@ttachi)さんという方がいらっしゃいます。

で、本日書かれていたブログ記事がとても素晴らしかったので、ご紹介しちゃいます。

たった一度の記憶をずっと劣化させない方法

今ブログをやっていらっしゃる方、ブログをやってみようかな?と思っていらっしゃる方両方に、ぜひ読んでいただきたい文章です。


ところで、わたしがブログ上でウォーキング日記をつけることにしたのは、実は立花さんのブログに出会ったことが切っ掛けだったりします。
例えば食べたものや読んだもの、見たもののレビューなんかは、素人が書いたものでも大いに価値があると思う。
でも、他人にとって意味のない、ごく個人的な通常の事柄をブログに書くことに価値はあるのか?
この1~2年のあいだ、ウォーキングの記録をつける以前にもずっと感じてきた、そんなモヤモヤ。

ほんとは「価値がある」「価値がない」という分け方って、とってもイヤなんです。
そもそもわたし自身が何人かの方の日記ブログを、ほぼ毎日読みに行っているという現実。その時点で答えは出ています。
だけど、一度染み付いた考えを払拭するのって結構難しい。
そして、自分の中に棲む自虐的な考え。「ひとの書く文章には価値があるけど、自分の書くモノにはない」、これが何度も何度も頭をもたげてくるんですね。

そんなときに出会った立花さんのブログ。
数あるエントリーの中には、個人的に続けていらっしゃる日々のランニングの記事も混じっています。
価値という言葉を持ち出すのなら、わたしのブログと立花さんのブログとでは価値が違うのかもしれない。
けど、……ああ、いいんだ。いろんな事柄に混じってこういうのもブログに書いていいんだ、と、そのときなんだかすとんと胸に落ちた。
自分自身がブログを始めたころの初心に立ち返ることのできた瞬間でした。

残念ながらその後、ちょっとした事件が起きて、また迷走しつつ現在に至っているのだけど、悩んでいることのひとつに対する答えが、今日のエントリーにはっきり書いてあったような気がします。
そっか……。その価値を見出すのは、必ずしも他人じゃなくてもいいんだな。
自分のためだけのブログがあったって、いいじゃない。

実際にわたしには、困ったことがあってググってたまたま自分の過去の文章に行き当たり、困りごとが解決したという経験があります。
過去の自分と現在の自分。同一人物だけあって思考回路は似ているし、考えることが近いんですね。
だから、過去ログの中から思わぬヒントが出てくることがある。しかも具体例がきわめて近いから、より参考になる確率が高かったりします。
まいにちのできごとを書き残すことは価値のあること。今でははっきりとそう思います。
きっと現在の自分と未来の自分にも、重なり合う部分はとてもたくさんあるんだろうから。

立花さんの今日のエントリーを読んだ後、ふと、過去ログの更に過去ログがあったことを思い出しました。
バンドのサイトを閉鎖するときに、日記のログもとっておいたはず……。でもあれからパソコンも何度か変わって、ログが残ってるかな?

探したらありました! 2001年6月~2004年3月のログです。
2001年の7月18日に、「バケツをひっくり返したどころかお風呂をひっくり返したほどの大雨が降った」ことなんて、書き残してなければわたしにとって、永遠に失われた事実になっていたんじゃないかな。

ちなみに、わたしには中学時代から書き溜めてた詩があるんだけど、それを読むとそのとき考えてたことが一瞬のうちに甦って来たりもします。
これ書いてたとき、こんなことがあったなぁ、何を聴いていたなぁ、なんてのがまるで昨日のことみたいに。
自分の頭の中身の代わり映えのなさにも若干泣けてきますが、それはそれ。
人間、年齢を重ねると短期記憶には衰えが出てくるものだけど、昔のことは案外忘れないものだなと。人間の脳のできばえってすごいよね。
これだけを考えても、少なくとも「自分の書いたものは、未来の自分にとって価値のあるもの」と断言できます。


さて、最後に残った問題は自分自身の閉じてしまった過去ログについて。
本心を言うとするなら、「ここに全部持って来たい」。それが全てです。
なので唯一の答えは、「問題がないよう修正して、ココに持ってくる」、これでしょうか……?
でも………。

臆病な心を抱えながら、迷走はまだまだ続きます。

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コメント

  1. RUN より:

    すっかり秋めいてきましたね。
    ブログの価値!!あまり考えたことがありませんでした。
    ブログなんて殆どは自己満足のためだろうと
    思っていましたし、自分のブログも
    そういうものだと思っていたのです。
    でも一年ぐらいたってみて以前の記事を
    読み返してみて、はっとすることがありました。
    その文章は紛れもない自分のものであるし、
    不特定多数の読み手を意識しているとは言え、
    過去の自分が未来の自分に宛てて
    発信したメッセージに感じられたのです。
    ライフログとは言い得て妙ですね。
    日常の些細な記録であっても、その当時の
    生活の様子が浮かび上がってきます。
    カイさんが仰る様に、ブログにでも
    記録しなければ永久に忘却のかなたに
    消え去ってしまうような出来事が、
    記憶のかけらとしてネット上に配置される…
    これは凄いことだなあ…
    最近私にとってブログは外部記憶のように
    思えるのです。しかもそれが単なる
    外部記憶に留まらず、SNSとして有機的なつながりを
    持つようになるなんて、私には新鮮な驚きでした。
    たわいもない事柄であっても、
    かけがえのないかけら…本当に面白いですね。
    と言うわけで、カイさん!これからもどうぞ
    宜しくお願いします♪

  2. カイラ より:

    > RUNさん

    コメントありがとうございます。
    こちらこそ、今後ともどうぞよろしくお願いします(⌒-⌒)/

    文章に書き残すというのは本当に面白いですよね。
    書いたときには何気なく書いたものでも、
    しばらく後になって読み返すと、意外な発見があったりします。
    文章にすることで自分の気持ちを整理できたりもしますし、
    薄れたり変化したりする記憶を留めてくれたりもします。
    だから書きっぱなしじゃなくて、たまには読み返すのも大事ですね(^^ゞ

    おっしゃるように、ブログは自己満足という面が大きいと思いますが、
    そこに読み手が存在する(SNSはまさにそれですよね)から、
    可能性も更に広がっているんでしょうね~。
    旧ブログから引き上げてしまった記事は非公開のところに格納していますが、
    やっぱり非公開というのも寂しいなぁ…ということろがあり、
    その辺りがいまひとつスッキリしません。

    自分が削除しない限り(管理者に削除されない限り)ずっと文章が残っていく…。
    ネットに上げたものの特性ですが、これは本当に不思議な感じがします。

  3. カイラ より:

    > お名前非公開様

    コメントありがとうございます!
    ブログを拝見していて、感情をとても丁寧に綴られているなぁといつも感心しています。
    それに書きっぱなしではなく、きちんとした形で残されているのって、とてもいいですね。

    残すべきもの、(特に近しい人には)読まれたくないもの、
    このあたりはちゃんと分ける必要があると痛感しています。
    ブログ開設以前に書いたものはアナログで残ってしまっているわけですが、
    倉庫利用している非公開ブログに収めたら、破棄する予定です。

    自分の書いたものを読み返すのは、過去の自分と向き合うことでもあるので、
    「ちょっとこれはマズいなぁ…」というのも当然出てきますね~(^-^;
    最近はプライバシーについてもかなり敏感になっていますので、
    そういった面もやはり気を遣うところです。