キムヨナ選手とフィギュアスケート中継

昨日アップしたキムヨナさんのグランプリシリーズ欠場の話題には、フィギュアスケートに興味のある方なら一定の関心を持ってて、その誰もが「ちょっとわたしにも一言言わせて!」と感じているのに違いないんですよね。

今日はそういったことをベースに、とりとめもなく思ったことをつらつら書いてみたいと思います。
文章纏まってないですし、あんまりたいしたことは書いてないので(いつもか)、ささっと読み飛ばしちゃってください。

本来、グランプリシリーズよりも世界選手権重視っていうのは、当然といえば当然のこと。
大切なのは、日本人選手なら日本選手権で、その後に来る世界選手権。
キムヨナ選手が韓国選手権に出ようと出まいと、それは韓国の事情であって、縁もゆかりもないわたしたち日本人にはなんら関係のないこと。

……だったはずなんですよねぇ~。

ところが。

いつの間にかグランプリファイナルが「世界一決定戦」って言われちゃってて、気がついたら「スキップ」がYahoo!の見出しとなって踊ってる。
まぁ、これには様々なところで色んな思惑があるんだろうなぁとは思います。
こうした記事を見つけるときは、フィギュアスケートが純粋なスポーツではなく、エンタメコンテンツだと意識させられる瞬間でもあります。

多かれ少なかれ、これまでだってフィギュアスケートにはそんな側面があったんでしょうけど、最近は特にそういった面がクローズアップされてるのかな、と思わずにはいられません。
スポーツの試合の中継のはずなのに、進行状況や場内の模様が編集されていたり、拍手や歓声が足されていたり、なんてこともありました。
ただし、大勢の人がストリーミングでライブを見られるようになってきたことで、今後はそういう手法も通用しなくなっていくのかもしれませんし、そうあって欲しいなと願っています。

以前、スポーツニュース見てたときですかねぇ……。
父がとある女子選手のスピンを見ていて、
「これは上手いのか? どんどん移動して行ってもいいものなのか?」
と訊いてきたことがありました。

「そりゃあ、お父さんの思ったとおりで合ってるよ。でもこれが最高得点なんだよ。これって、どう思う?」
そのときはあえてそういうふうに答えましたが、父はそれで瞬時に理解したようです。
ちなみに父は元アスリートですが(今も少しやってますが)、普段全くフィギュアスケートは見ない人です。

さらに加えて、この数年やたらと聞かれるようになったのが、「シロウトには表現力なんてものはよくわからない」という話。
もちろんこれは、見た人の印象と実況・解説者のおしゃべりとが合致しないことから出てくる皮肉です。
だって、受け手の多少の資質はあるでしょうが、シロウトにはむしろ技術的なことよりも表現の方がよくわかるはずですからね。
(技術と表現とは切り離せるものではないですが。)

クロウト受けする表現というのは確かにあります。
芸術の中には人に伝わらないとわかっていて、あえてそういう表現を選ぶというケースもあります(←若い芸術家や前衛的なものを目指している人には、結構ありがちなパターンです)。

でも、お客さんが入る場所で大衆的な演目を演じていて、しかもコンペともなれば、観客にさっぱり伝わらない表現を、表現力として評価するには無理があります。
そもそもフィギュアスケートの場合、ジャッジは芸術の専門家でも舞踏の専門家でもないので、選手たちは(たとえ正しくなくても※)わかりやすい表現を選択して演じていることがほとんどなんですから……。

(※「正しくない」の例……外国人の思う「日本風」「中国風」などなど。)

まぁ、そんなこんなで、そういった皮肉が普通に語られているということは、実況や解説のしゃべっていることも、実はだんだんと信用されなくなってきているからなのかな、なんて思ったりします。
こっそり盛ってれば良かったんでしょうけど、いかんせん「やりすぎた」。
無理矢理なスター作りにしても同様でしょう。

今シーズンのグランプリシリーズ、テレビ朝日にとっての看板娘であるキムヨナ選手が出場しないということが決定したことで、放送のカタチに変化があるのかないのか。
この先のことを占う上でも、ぜひ楽しみに見守りたいと思います。

♪Now Playing/ Under Pressure – Queen

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