小学生のころ、学校や街の図書館で毎週本を借りてきては読んでました。
特にSFが好きで、そのコーナーにある本を左端から2冊ずつ順番に借りていってね。
全て制覇したら、気に入ったタイトルをまた左から2周目……っていう具合に、何度も何度も繰り返して読んでました。
その中で、特別なお気に入りの本っていうのがありました。
「少年少女21世紀のSF」というシリーズの中の、不時着した星の原住民との交流を描いた、加納一朗さんの『セブンの太陽』は特に好きだったんですが、このシリーズはどれもおもしろくて、夢中で読みましたね。
タイトルを忘れてしまった物もあるけど、もし復刻されるのなら、大人になった今でも、ぜひまた読みたい物ばかりです。
そして、もう一冊。
地球上で核戦争が起こって、上空で核が爆発したその町ごと未来に飛ばされてしまう……という衝撃的なオープニングの『百万年後の世界』。
スペースオペラの巨匠、エドモンド・ハミルトンの作品です。
どちらの本も、すごく人気があったらしくて、すでにポロポロ。
表紙もテープで補強してあるような有様だったんだけど、飽きもせず読んでました。
その図書館は小学生以下向けの児童図書館だったんですが、中学生になってからもその本が読みたくなって、何度か通ったくらい。
ところが、その図書館も閉鎖になって。
『百万年後の世界』が読みたくて、あちこち本屋さんを回ったんですが、見あたらず。
当時ネットもありませんでしたし、実は何度も借りたくせに、作家の名前がうろ憶えだったので、中学生の身ではそれが限界でした。
そしてそれから数年後。
高校の図書館にSFの全集があって、それを借りたんですが、その中に偶然、探してたストーリーがあったんですね。
作者を確かめたら、「エドモンド・ハミルトン」です。
でも……ないんですよ。
そのストーリーの中に、わたしの大好きだったエピソードが。
「あれ? これって何ページか抜けてる?」と思ったくらい。
でね、これもうろ覚えなのだけど、タイトルが違ってたっぽい。
この話は、要するに百万年前から来た少年が、一生懸命勉強して時代に追いつき(その時代には地球人類はかなり廃れちゃってるのですが)、とうとう宇宙に飛び出していくっていう、すごい成り上がりストーリーなんだけど、なんだか以前読んだときに感じた爽快感がないんです。
「きっと訳によって違うんだろうけど、それにしても……」と疑問に思うまま、さらに数年。
ずっとエドモンド・ハミルトンの『百万年後の世界』を求め、書店・古書店を回っても見つけられず。
ネット環境になって、amazonで検索してもヒットせず。
わたしの中では、『百万年後の世界』は、もしかしたら読んだことも夢だったんじゃないかと思うようになり(実際、当時の図書館、なくなっちゃってますし)、まさに幻の作品になりつつありました。
ところが先日、とあるサイトさんの記事から、こんなことがわかりました。
『百万年後の世界』は『時果つるところ』という作品のジュブナイル版(少年少女向けに改めて書かれたもの)だったらしいこと。
『百万年後の世界』は『時果つるところ』の主人公より若い設定で、エピソードもいくつか違うらしいこと。
そしてこれはほかに『地球最後の都市』というタイトルでも出版されてたらしいこと。
なんせ昔のことなので記憶が混乱してたようなんだけど、どうもわたしは小学生の頃、『地球最後の都市』『百万年後の世界』両方読んでるみたいです。
というのが、『地球最後の都市』の表紙に見覚えがあるんですよね。
もしかしたら、小学校の図書館でも読んでたのかも……。(当時、図書館クイーン)
で、高校のときに読んだのは、ひょっとしたら『時果つるところ』だったというのが正解な感じ。
それで全て謎が解けます。
残念ながら、『百万年後の世界』『地球最後の都市』『時果つるところ』全て絶版のようで、手に入りません。
ただ、『時果つるところ』は文庫本で出ていたので、地道に探せばいつか入手できる可能性もあるとのこと。
ショックなのは、わたしずいぶん前に、古本屋さんで確かに『時果つるところ』を目撃してたんです。
エドモンド・ハミルトンで探していて、目に留まったんですよね。
もちろん当時、これが目的の『百万年後の世界』だとは知らなかったので、スルーしちゃったんです。
タイトルが変わっている可能性は当然頭の中にありましたので、裏表紙のあらすじも読んでたはずなのに、なぜ気づかなかったんだろう。
これってニアミスどころか、正面衝突しておいて気づかなかった大バカモノですね。
はぁ……。
……どなたか、『時果つるところ』でもOKなので、古本屋さんでこの本を見かけたら、ご一報いただけないですかね?
ここのコメント欄で結構ですので。
お持ちの方、高価で買い取りいたします!とは言えませんが。